向こうはどんな所なんだろうね。
無事に着いたら、便りでも欲しいよ。





『 果て 』

 

 

 


一日がかりの検死が終わって、マニィくんが帰ってきた。
葬儀屋の計らいか或いは大使館員が依頼したのかは分らないが、帰ってきた彼は見覚えのあるスーツを着ていた。たしか生前、彼が好んでいたものだ。わざわざ彼の自宅から取ってきたのだろうか。首に締めてあるネクタイにもこれまた見覚えがあって、そう、これは私が彼に贈ったものだった。
部屋の真ん中に置かれた、清潔で真っ白な四角い棺に入った彼。長身の彼にその箱は少し窮屈そうだった。表情は安らかでこそないが、発見当初のような苦痛の表情もしていない。死化粧なのだろう、肌の色も青ざめてはおらず、むしろ生前の血の気の薄い白い肌よりも生き生きしているくらいだ。

「おかしいね、生き生きだなんて。キミはすっかり死んでしまっているのに」

頬に触れると弾力はまるでなく、古びて硬くなったゴムの表面を思わせる手触り。
胸の上で厳粛に組まれた手は最早解くことなど不可能で、その眠りが永遠のものであると嫌でも感じさせた。

(ああ、)
(キミは、誰だい?)

まるで人形のように変わり果てた目の前の男を、マニィくんだなんて信じたくなかった。
本当はキミは生きていて、この死体は身代わり。
今にも人悪いの笑みを湛えたキミが、私の前に姿を現すんじゃないか。そんな妄想まで浮かぶ。
けれどこの国の優秀な警察が、この男は間違いなくマニィ・コーチン本人だと断定している。警察なんかに頼まなくたって、そもそも私にだって分かっていたよ。
けれど、けれど。
(ああ、)
信じたくないよ。全てが分かった今でさえも。
全てが解った、今だからこそ。
殺人・密輸・美術品の横領エトセトラエトセトラ。警察から聞かされた彼の罪状は、それはもう深く多く。その幅広さに笑ってしまったくらいだ。ああ、なんて彼らしい。何でもできる万能な男だったね、キミは。
だからこそやはり、そんな彼があっさりと殺されてしまうなんて、私には想像が付かなかったのだ。

そもそも。何故彼は、カーネイジ大使の呼び出しに応じたのだろう?
舞台上映中の控室なんて、それこそ人気もなく危ないことは私にだって分かる。彼ならば言わずもがな。
それなのに何故自ら、敵の罠に飛び込むようなことを?
いや。私なんかが考えたところで分かるわけもない。彼らには彼らの都合と、やり方があったのだろう。裏の世界で生きる彼らの行動を、表の世界しか知らない私が想像するだけ無意味なのだ。
(最期に彼は何を話したのだろう。何と言ったのだろう)
悲しいことに、それすらも私は知らない。犯人であるカーネイジ大使は精神的ショックが大きく、とても話せる状況ではないというし、そもそも私が面会に行ったところで話してくれるかどうか。私は彼の逃走を阻止した一端でもあるからね。

(私はね、マニィくん)

私を看取ってくれるのはキミだと思っていたんだよ。笑われそうな話だけど、これは本気だった。
私なんかに付いてきてくれるのは、キミだけだろうって。そう思ってた。いや、今でも思ってるよ。
(それをキミは)
私より先に逝っちゃうなんて。しかも殺されてしまうなんて。私に看取らせてもくれないのかい。
(コードピア大使にしてみせる、そう言ったじゃないか)
確かに次期コードピア大使の座はいっそ強制的に私の所に転がり込んできた。
これもキミの案だって言うのかい?ダイカイ像を盗ませるだけじゃなく、カーネイジを退かせてしまおうと?
馬鹿馬鹿しい。悪いけど、そう思わずにはいられないよ。
そのためにキミが死んじゃって、どうするっていうんだい。どうしろっていうんだい。
私にどうして欲しかったんだい。キミなしじゃ何も出来ないこの私に。
長年付き合ってきたキミなら分かっただろう、自分がいなくなったら私がどんなに混乱するかって。
困るかって。
悲しむか、って。
分かっていただろう?
なのに、何故。

(ああ、どうしようもないね)

キミは今や私のどんな質問にも答えることが出来ないのに。
本心は答えたくないのか、答えたくても答えられないのか、それは知らないけれど。
(マニィくん、マニィくん。聞いてるかい)
もう、我儘は言わないよ。
書類も期限までにちゃんと出す。
上着もそこらへんに投げずにちゃんとハンガーにかけるし、
暖炉の灰も片付ける。
ババルインクのふたを閉め忘れたりもしないよ。
キミのいうこと何でも、ちゃんとしっかり聞くからさ。

(ねぇ、もう一度帰ってきておくれよ・・・)



遠慮がちに扉が叩かれる。
「大使、…そろそろ。式のお時間がありますので」
「ああ、うん。分かってる。…これ以上皆を困らせられないしね」
「……外でお待ちしております。準備が出来ましたら、お呼びください」

キミが眠る四角い箱にはババルの旗が掛けられ、ゆっくりと滑るように部屋から運び出された。
形式だけの簡素なお祈りの後、キミの乗った車がしめやかに走り出す。
昨日あんな悲劇があったっていうのに、空は抜けるような晴天だ。天気が好きな私だけれど、今日だけはこの青空が憎かった。
(安いドラマみたいだっていい。少しくらい涙を流してくれたっていいのに)
正反対に嘲笑うような太陽を、目が焼かれるのも構わず睨んでいた。





彼の乗った車を追いかけて、着いた場所は飾り気のまるでない建物。
彼は例えるなら商品が納品されるみたいに静かにあたりまえに、そこに入って行った。
(遂に、か)
焦げとは違う、何か少し溶けたような跡のある鉄の引出の上、彼の棺が置かれている。
ここまで棺についてきたのは私と、付き添いの大使館員がふたりだけ。なんて寂しい。
私は少しだけそれを悲しく思ったけれど、派手を好まないキミは「これくらいで調度いい」って言うんだろうか。

最後にまた我侭を聞いてもらって、二人きりにさせてもらう。
小窓を開けば相変わらず人形のような顔が眠っている。目も、耳も、口も、鼻も、顔の皺も。マニィくんのものなのだけれど、圧倒的な違和感を感じた。命がそこにないというだけで、人はこんなにも変わる。顔を寄せると微かに消毒用のアルコールが漂った。
(マニィくん)
恋人でもない、兄弟でもない、血も繋がっていない人間の、火葬直前に。
二人だけでこうして向き合っていることが、ひどく不思議に思えた。
私の人生は仕事ばかりで割と平凡だったけれど、
そこに密輸、殺人、加えて悪の組織だなんて。
(寝耳に水だよ、本当に)
そして信頼していた秘書がその組織の幹部なんてね。
(小説の一本でも書けるんじゃないかな?結構売れそうじゃないかい?)
でも、もう。キミが誰であったかなんて問題じゃない。

「キミに会えて、良かったよ」

組織の幹部でもない、闇のバイヤーでもない、有能秘書マニィ・コーチンしか私は知らないけれど。
それでも私は、幸せだった。すべてを知った今でも、それは変わらない。
キミはどうだったんだろう?
少しでも。小指の爪の、その先っぽほどでいいから。私の幸せの何十分の一、何百分の一でもいいから。
私と居た時間に幸せがあったならいいな。
「さて」
もうそろそろ付き添いの彼らが痺れを切らす頃だ。

我侭を詫びて、彼らと3人、キミを見送る。
鉄の扉は驚くほどに厚くて重い。
ずっしりとそれが閉まって、ボタンが押される。
……燃える音すら、しなかった。

(お別れだね)
そう思った。今になって、やっと。
相変わらず私は鈍くて嫌になるよ。キミとは本当はもう、何時間も前にお別れしているのにね。

彼が灰になるまでの間、私は建物の外に居た。
今日この時間、焼かれているのは彼一人のようで、昇る煙は一本だけだった。ありがたい。
(マニィくんが分からなくなったら、困るからね)
黒いような、白いような。
細い筋が雲ひとつない青い空へ伸びていく。それを私はずっとずっと見送った。

「困ったな」

キミの灰がね、すごく沁みるんだ、マニィくん。
地面には降りもしない雨の染みができていたけれど、私はそれに気付かない振りをした。
















「向こうはどんな所なんだろうね、無事に着いたら便りでも欲しいよ。」



白い壺に納まったキミは何も言わないけれど、私はそう呟かずにはいられない。
どんな幸せでも、その先には必ずもの言わぬ死が横たわっている。
それをキミから教えられたよ。喋らなくなっても尚、相変わらずキミは物知りだね。
でも、私も一つだけ教えてあげたい。
知っておいて欲しい。
キミがどんな男であれ、どんなに憎まれる人であれ。
キミの幸せを、祈り続ける人間がいることを。




幸せの果てには死が横たわっている。


でも、それならば、


その死の果てにも幸せがあればいいと、思うんだ。


 

 

 

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元ネタは勿論あの曲。
葬式とか火葬とかもうほぼ想像妄想で済みません。
今回はマニダミっていうよりパートナーだった二人の話。