ごりゅ。
捻りあげた腕から厭な音が響く。
膝で押さえつけた背からは痙攣とも震えともつかない振動が伝わってくる。背骨の、その下にある肺がひう、とひとつ掠れた息をして、
「ぃ、い、いたたたたたたぁあああああ!!!!!」
……泣き叫んだ。
聞き覚えのあるその声で、マニィの意識は完全に覚醒した。
「大、使」
「いたたたいいたいいたいいたいよマニィくぅぅぅうううん!!!!!」
「っ!」
 腕を捻り上げ足で床に押し付けていたその男は、まさしくダミアン・ヒンジその人で。マニィはすぐさま拘束を解き、彼の上から飛び退いた。混乱する。自分は何を。無意識に、なんということを。頭に血が上る、いや、引いたのか。酷く脳味噌が冷たい。血流の音さえ聞こえる。私は。私は。
 大使を見遣る。顔を顰めながらも腕が回っているところを見ると、幸いにも折れてはいなかったようだ。彼の傍にしゃがんで「申し訳ありません。…お怪我は」業とらしく尋ねてやる。酷い皮肉だ。自分で組み敷いておいて。
「ああ、びっくりした。いや大丈夫だよ、ちょっと痛かったけど」
「それは良かった」
「それにしても…驚いたなあ」
 ひく、と顔の筋肉が強張るのが分かった。
ああ、ついに。ならば。いっそ。懐にある金庫の鍵を想った。
「あれ、護身術ってやつかい?初めて見たよ。格好いいね!!」
「…な、」
「良かったら、今度私にも教えてくれないかな?」
といっても、私なんか襲う人はいないと思うけどね。そう言って、可笑しそうに笑うダミアンを、まるで化け物でも見るような眼差しで見下ろす。
「キミは本当に有能秘書だねぇ…なんだっけ、この前見たなんとかエンジェルって映画、」
みたいだ、という語尾は、咳き込みに変わった。
「…ぐ、っ。ま、マニィくん?別に今じゃなくて」
「黙れ」

 仰向けのダミアンに伸し掛かるように覆い被さって、マニィは低く呻いた。
「黙りなさい。…アナタは、」
光を遮っているせいで、マニィの顔は見えない。声だけが妙に切羽詰ったような、怒ったような、それでいて静かな、妙な響きを帯びていた。ダミアンは組み伏されたまま、ゆっくりと瞬きする。
「怖くないんですか、私が」
「…どうして?」
「どうして?!この状況下で、身の危険を感じないとでも?殺されるとは思わないんですか?!」
「え!えーと、うーん…」
先程の落ち着いた瞳は何処へやら、いつもの調子で焦りだすダミアンに、マニィも一瞬だけこの状況を忘れそうになる。けれど蒼い眼が今度はしっかりとマニィを捕らえ、そのまま強い調子で彼は言い放った。
「うん。怖くないよ」
「…どう、して、ですか」
先ほどの言葉が毀れる。その声から狼狽が窺えて、マニィくんにしては珍しいなとダミアンは胸中微笑んだ。
「だって。私はもう、君のことを信じきっているからね。誰よりも信頼してる。そんな君を疑うとか、怖がるとか、そんなことはしないよ」
「ならば。…私がもし、飛び降りろと言ったら」
「飛び降りるだろうね。流石にちょっと怖いけど」
 ふふ、と笑うと、ダミアンの頭上で深い溜息が吐かれた。そしてゆっくりと、マニィの身体が退けられる。遮られていた光が目に入って、少し目が眩んだ。
逆光でなくなった今でも彼の表情は分からない。彼の大きな手は、片方でも十分にその顔を覆ってしまっていた。
「マニィくん」
 俯く彼の傍に寄って、やんわりと両腕で頭を抱えてやる。触れた瞬間びくりと波打った肩が可笑しくて、ダミアンは目尻を下げた。
「大丈夫かい?」
彼の波打つ茶色の髪をなぞる様に撫でてみる。少しパサついているが、その手触りは意外に良かった。単調に繰り返し撫でていると、腕の中で何か呟いたようだった。
「うん?」
「アナタは…馬鹿ですか」
 マニィらしい言い方に笑ってしまう。違いないよと返してやると、再び溜息を吐かれてしまった。
「でも、その分君の頭がいいんだから、それでいいじゃないか」
 成されるがままのマニィの両腕は床にだらりと垂れていた。一瞬宙を彷徨い掛けたその腕は、躊躇の末、何も掴めずに再び垂れ下がる。


「…馬鹿ですよ」
「…知ってるよ」


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ダミアンさんは懐がとっても広いとおもいます。