「もう、こんな時間か」
 窓から見える景色はすっかり夜景に変わってしまっている。終業時刻はとうの昔に過ぎているが、別段家へ帰ってもすることのない私は、こうしてだらだらと大使館に残ってしまうのが常だった。暗い闇に映える幾つもの明かりを見るともなしに見下ろして、流石にそろそろ帰らなければとそう思ったとき、書類を何枚か提出し忘れているのに気が付いた。
提出といっても自国へだとか、この国への提出ではない。そもそもこんな時間では受け取ってもらえないだろう。この書類たちの提出相手はマニィくんだ。重要な書類は大抵彼に目を通してもらってから国へ送っている。部下に頼りすぎだと笑われるかもしれないが、正直彼のチェックなしで正式文書を送るなど、私にはとても考えられない。私の書き損じの多さは自分が一番良く知っているのだから。
 この時間だ、マニィくんももう帰ってしまっただろうか。「書けたらすぐに持ってきてください」そう言い渡された書類だけれど、期限までにはまだ日がある。小言は明日聞くことにして、私は帰り支度を始めた。



■ランプ


 
 てっきり帰ったと思っていた彼の部屋から明かりが漏れているのを見つけて、私は少し呆れた。
まだ若いんだから、たまには早く帰って自由にしたらいいのに。私みたいに仕事が生き甲斐なら良いのだけれど、折角あのルックスと、少々老け気味ではあるが端正な顔立ちをしているのだ。もっと人生を謳歌すればいい。老婆心で勝手にそんなことを思う。
 何はともあれ、在室ならば調度良い。ついでに彼に提出してから帰ろうと、扉をノックする。
……返事がない。
「おかしいな…?」
普段ならば間髪おかずに何事か帰ってくるところだ。そうでない時は不在の証。もしかしてマニィくん、電気を消し忘れて帰っちゃったのかな。そうだとしたら、彼には珍しい失敗だ。
少しわくわくしながらドアノブを捻ってみる。ここで鍵が掛かっていたら、明日存分に彼をからかってやろう。そう思ったのだけれど。
「あ、あれ?」
 少しの音を立てて回ったノブに、私は面食らった。トイレだろうか?いや、彼はとても用心深い男だから、部屋を少し空けるときでも施錠を忘れたことはない。ならば、これはどういうことだろう。
少しだけ戸惑って、私は扉をゆっくり押し開けた。返事のない部屋に入るのは、なんとなくだけれど罪悪感がした。
 扉の正面に見えるデスクに、マニィくんの姿はなかった。彼は(私にとっては!)驚くべきことに、ソファで眠り込んでいたのだ。
第一印象は、マニィくんも居眠りするんだ、という間抜けなものだった。私なんかはよく椅子で転寝をしてついでに転げ落ちたりするのだけれど、マニィくんにはなんだか、転寝とかさぼりだとか、そういうイメージを一切持っていなかったのだ。
怖いもの見たさ、というか。私は足音を忍ばせてソファに忍び寄った。どんな寝顔なんだろう。仕事で疲れた彼には悪いが、こんなチャンスは滅多にない。自然に顔も綻ぶというものだ。
「(…眠ってるときでもシワ寄ってるよ、マニィくん…!)」
口を引き結び眉を寄せて眠る姿に、なんとなく申し訳なくなる。彼らしいといえばこの上なく彼らしいのだが。そしてこのシワの原因の何割かは、恐らく私に違いない。今度マッサージ店にでも連れて行ってあげよう。そうしよう。
 無遠慮に覗き込む視線が厭だったのか、マニィくんは低く唸って寝返りを打った。ごめんね、と小さく謝ってみる。起きているときでも寝ているときでも、彼に迷惑しか掛けられないのだろうか、私は。自分で自分に呆れてしまった。
しかしどうしよう。マニィくんをこのまま残して帰っていいわけもない。かといって折角寝ているのを起こすのも気が引ける。気まずくなるのは目に見えているし。
うんうんと考える私をよそに、ソファの上の彼はまたも寝返りを打つ。首もとのネクタイが緩められてもいないのを見て、またしても私は呆れる。
「(どこまでかっちりしてるんだい、キミは)」
自分の部屋なのだから、もっとリラックスすればいいのにね。とりあえずネクタイだけでも外してあげようと手を伸ばす。
「あ
 れ、」